【竹山流について】

 

津軽三味線は青森県津軽地方に伝わる

津軽民謡を演奏する楽器です。

 

その昔、青森では

目の見えない男性は三味線弾き、

女性はイタコになることが一般的でした。

 

師匠の元で修行をし、

独立を許されると門付けをします。

 

門付けとは一軒一軒家を回り

軒先で三味線を弾き、

お金やお米をもらうこと。

 

まさに生きるために三味線を弾く。

門付芸人にとって三味線は生きる糧でした。

 

たくさんの門付芸人が生きた時代に、

のちに名人と呼ばれる

「高橋竹山」

という津軽三味線奏者がいました。

 

ほいど(乞食のような言葉)

と蔑まれた門付芸人。

高橋竹山もつらく厳しい門付時代

を過ごしました。

 

その中で数々の津軽民謡を復活させ

津軽民謡の父と呼ばれた

「成田雲竹」

に見出されます。

 

それまで津軽三味線といえば、

唄の伴奏をするものでした。

歴史を塗り替え、

津軽三味線の独奏で

竹山ブームを巻き起こした高橋竹山。

 

今もなお愛され続ける

高橋竹山の音色は

多くの人の心を魅了しています。

 

 

津軽三味線にはたくさんの流派があります。

 

「叩き三味線」

「弾き三味線」

と言われる流派に分かれます。

 

テレビなどで流れてくるものはほとんどが

「叩き三味線」

高橋竹山の流れを汲む竹山流が

唯一「弾き三味線」

 

それぞれ奏法や曲調が違います。

 

リズムを刻むように叩き

ダイナミックな演奏の印象がある叩き三味線。

メロディーを奏でるように弾き

哀愁を感じさせる弾き三味線。

 

どちらも津軽の風土を思わせる

津軽三味線独特の奏法です。

 

 

三味線教室みつ音は

竹山流津軽三味線の教室です。

 

初代高橋竹山の直弟子『高橋栄山』と

高橋竹山と全国行脚した民謡日本一の

『初代須藤雲栄』(成田雲竹の愛弟子)

が伝える津軽の心、和の心を継承しています。

 

高橋栄山は

「三味線だけが上手くてもダメだ。

心も磨きなさい。」

と言います。

    

 

伝統芸能と呼ばれる津軽三味線。

 

師弟関係の中で

先代の想いや歴史など

目に見えない大切なものを

継いでいくことこそが伝統です。

 

先代の想いを乗せて後世に残していく。

 

先代や和の文化への畏敬の念と共に、

変わりゆく時代であっても

変わらない大切なものを守り伝えています。